バナナ・ペーパーの足跡を追って(3)

《バナナ・ペーパーの足跡を追って…》(その3)

【今回、出会った本】

『バナナ・ペーパー 持続する地球環境への提案』森島紘史著 (鹿島出版会)2005年8月

 いま私の手もとに古い新聞記事の切り抜きがある。タイトルは「バナナの茎から紙 再生」となっており、日本経済新聞の2001年1月20日(土)のものである。その内容はこの連載で紹介してきたバナナ・ペーパー・プロジェクトの実際の成果のひとつを紹介したものであり、とても貴重な内容だといえる。以下にその全文をご紹介させていただく。

(ここから引用)

 学習研究社と三島製紙は十九日、バナナ繊維を利用した絵本を二月二十一日発売すると発表した。生産国であるハイチの政府や大学、生産者の協力を得て、大量に廃棄されているバナナの茎を紙として再利用する。企業として木材資源保護に対する積極姿勢をアピールする。絵本は「ミラクルバナナ」(千二百円)。ハイチ産バナナの茎から取り出した繊維を輸入し、サトウキビの搾りかすで作ったバガス繊維を少量配合した。三島製紙の技術者が繊維の抽出作業や品質検査の指導も行った。学研では幼児向け月刊誌「学研ワールドえほん」の七月号でもバナナ繊維を試験的に使用するほか、小学生向け月刊誌の教材に使うことも検討中だ。

 バナナは百二十ヵ国以上で年間約五千八百万トンが収穫されているが、茎や葉は農園に廃棄されているという。今後、他の地域産の利用も検討する。

(引用ここまで)

 これは実際にバナナ繊維から紙を工業的に製造したことの最初の記録でもある。『非木材紙関連用語の知識』(非木材紙普及協会編)によれば、以前からバナナの偽茎(ぎけい)の葉鞘(ようしょう)からマニラ麻同様に強い良質な繊維のとれることが知られていたようで、製紙原料としての研究は大正2年(1913)からもう始まっていた。日本では戦後、大蔵省印刷局が中心となり、1970年代にこれに関連する研究がおこなわれてきたようである。その結果、「バナナその他のバショウ属植物には製紙適性の良い繊維を含むものが多いことが分かった」(*)が、安定供給が保証されるマニラ麻が先行して紙幣の原料として使用されたことから、バナナのほうは実用化には至らなかったようだ。

(*)出典:森本正和『環境の21世紀に生きる非木材資源』(1999)

 さて、それでは、この『バナナ・ペーパー 持続する地球環境への提案』のなかで、バナナの製紙技術に関してはどのような記述がなされているだろうか。

(ここから引用)

 プロジェクトの製紙技術は伝統和紙の技法を参考にしたが、和紙の原料である靭皮繊維とバナナ繊維は組成が異なり、和紙の技法そのままではパルプ化もできなければ、製紙することも難しく、数年がかりで原料抽出、製紙技術と機器類の開発、デザイン開発を同時に進行することで完成をみることができた。

 「バナナプロジェクト」の技術移転は、①繊維の抽出技術 ②パルプ化技術  ③紙漉き技術 ④デザイン開発の4工程に分かれて行われる。

(引用ここまで)

そして、この引用箇所には書かれていないが、「バナナプロジェクト」が目指したバナナペーパー開発のコンセプトは、それぞれ以下のように言い換えられるものだった。

 繊維の抽出技術 → 廃棄物の有効利用

 パルプ化技術 → 環境汚染のない無薬品パルプ化技術

 紙漉き技術 → エネルギーフリーの紙漉き技術

 デザイン開発 → 付加価値の高いデザイン開発

 簡潔な記述ではあるが、ここから読み取れることは決して少なくはない。何より、このようなコア・コンセプトのもとに、単にプロダクト・アウトの考え方で紙を生産するのではなく、自然環境や生産地の経済状況などにもじゅうぶん配慮したなかで、「自然からの頂き物」としての紙を現地の人たちと共に創りあげようとする高い志(こころざし)が、この開発グループには存在していたことが窺える。

 本書のなかには、冒頭で紹介した新聞記事にあった日本の製紙工場での用紙抄造にかんする記述もある。そこには次のように書かれている。

(ここから引用)

2008年8月、バナナ繊維の本格的製紙を目指した試みが、大手出版社と製紙会社の国際協力により行われた。日本側は繊維の抽出作業をハイチ共和国のコゼペップ農業組合に依頼し、ハイチ側の組合はカバレ地方(Cabaret)の農民150名を組織して、バナナの廃棄物から繊維を抽出する作業を3ヵ月にわたり行った。集荷された15トンの繊維は、国立マスク大学の検品を受けた後、日本に輸送された。東京港に到着した繊維は、パルプ工場で薬品蒸解され、製紙工場で機械にかけられて紙となった。

(引用ここまで)

 このとき造られた紙は、絵本『ミラクルバナナ』の本文に使うために抄造されたもので、絵本じたいも好評を博したが、その後、絶版となっている。著者の森島氏はその理由について、「それは、日本による機械製紙の工程が、100トン単位での製造をもとに組まれているために、バナナ紙への需要が100トンを超えない限り、再度製紙をしても採算が合わないため」だったからだと語る。つまり、紙を製造できなかったため、『絵本』をつくることができなかったというのである。経済原理に照らせばおのずとそういう事態は避けがたいのだろう。だが、逆に考えてみれば、まずはじめにバナナ紙というものが存在していなかったら、そもそもバナナ紙の需要など発生しようもないのではないだろうか。資本主義社会における商品生産の難しさがここには顔を出している。

 「ここがロードス島だ。ここで跳べ。」――イソップ童話のこの有名なフレーズを援用して、マルクスは、売れるか売れないか分からない商品が、もし売れたとすれば、それは商品が「命がけの飛躍」をしたからなのだと述べている。これはいまでも真理を突いている言葉だと思う。もともと商品とはそういうものなのだ。だれか「命がけの飛躍」をいとわない資本家の登場を、ここは待ちわびるしかないのだろうか。

(続く)