ベトナム1:ハノイ近郊~思わぬ人と面談

 かれこれ20年前、バイオマス資源の調査の一環で、かねてから一度は訪問したいと思っていたベトナムを、「ケナフ協議会」の専務理事とともに訪問することになりました。激しかったアメリカ軍との戦争の終結から30年近く経ち、無差別爆撃をうけた首都ハノイとその近郊の被害と復興、そして戦後、ベトナムの人々の生活はどうなっているのかをこの目で見てみたいと熱望していました。もちろんベトナム語はわかりません。そこで大学の教え子でバイオマス研究者としてオーストラリアの大学で仕事をしているラムさんにも来ていただくことにしました。彼女は1985 年に東京大学で初めて博士号を取得したベトナム人女性です。

保存されるホー・チ・ミン氏の書斎

 香港経由で、ハノイ・ノイバイ国際空港に降り立った。タラップに待っていたターミナル行きのバスの行先掲示は「錦糸町駅前」。中古の都バスがそのまま使われ、今は国内線に使われているターミナルに着きました。Hõ Tây(西湖)に近いホテルはフランス統治時代にフランス人が住んでいた趣のある建物、調度品でした。

ザップさんの自宅書斎で懇談

 ラムさんの知人を通して、ボー・グエン・ザップ(Võ Nguyên Giáp)さんと面会できることになり、西湖の周辺の国防省のすぐ近くのご自宅を訪問し、1時間ほどお話する機会を得ました。ザップさんはベトナム人なら知らない人はいないし、だれもが一度は会ってみたいと思われている方です。1954年、ベトナム軍総司令官としてディエン・ビエン・フーの戦いで、フランス軍を破ってフランスからの独立を果たし、1975年には、ベトナム人民軍総司令官としてアメリカ軍を破ってベトナム統一を実現しました。

家事焚き付けに使うイナワラ

 ホー・チ・ミン氏は激動のベトナムを政治的に支え、軍事的に支えたのはザップさんです。そればかりではありません。ザップさんはベトナム統一後も、副首相兼国防大臣を務められました。軍人としてだけでなく、政治家としても清廉潔白な人士として、ホー・チ・ミン氏亡き後、国民がこぞって尊敬と親しみを寄せました。私がお会いした時は90歳近いご高齢でしたが、かくしゃくとしておられ、ベトナムのバイオマス資源の開発とその人材の育成について情熱的にお話しされていました。ザップさんは2013年10月、102歳で永眠されました。

(飯山賢治)