危機一‘発’(7):ベトナム南部最深部

 1994年だったと記憶しますが、新規の植林を求めてベトナム南部の最深部を訪問しました。現在では、フーコック島などが観光地として有名ですが、当時は単なる田舎の島の対岸辺りで観光などまったく考えられないメコンデルタの端っこ地区です。
 ホーチミンから車でほぼ8時間の行程です。ミトー、カントーといった繁華街を通過するが、到着した夜のラックジア市は、寂れた何かありそうな気がまったくない田舎町でした。到着した時間が遅かったせいかもしれません。この日は一日中メコンデルタの川沿いを走り、フェリーを乗り継ぎしただけでした。
 とにかくメコンデルタと総称されるようにメコン川の支流が大きすぎて、橋の建設が間に合っていないため、結果としてフェリーを利用するしかありません。乗用車を3台も載せると満席です。カントー付近では流石に大型船でしたが、今では、日本などの協力で大きな橋がいくつも完成しているようです。

 (この時点では、高速道路はないため)全行程を一般道路で通行しました。ホーチミン-ラックジア間は、およそ300km位でしょうか。流石に疲労困憊です。翌日からデルタの川巡り・運河めぐりを中心とした調査を開始しました。地理的には、ほとんどが運河状の湿地で、要所に護岸があるだけの用地で、すべて4~5人乗りの船外機を付けただけのボートで移動することになっていました。護岸は、一部はコンクリですが、ほとんどは土を盛り上げただけの土手で、地平線まで延々と続く土手には呆れてしまいます。歴史的には最近開発がすすめられた土地のせいか、土手も道路もなぜかほとんどが直線となっています。
 要所要所の確認を済ませて、次々にボートで移動するしかないので、予想外に単調な一日作業となります。でも一日の最後は、地平線(ほとんど水平線)に沈む大きな太陽です。クウェートでは、地平線に沈む赤い太陽であったが、ここの太陽は茜色かもしれません。

 最後に来た場所は、ハーティエンと言いますが、ここからカンボジア国境まで約5km程です。国境まで続く土手の両側には粗末な掘立て小屋が延々と並んでいました。難民キャンプです。ベトナム南部では特徴的なことですが、大昔ベトナム南部はカンボジア領だったようです。そのため土地が奪われたり、奪い返したりが続き、現在(1994年頃)ハーティエンの難民キャンプの住人はカンボジアから追い出されたベトナム人とのことです。 夕方になっても街灯はなく、電灯の点いている小屋は数件です。20年後の現在は、その人達の生活も随分と変化したことと思いますが、真っ黒な闇夜の中に数軒でテレビの画面だけが輝いている光景は、とても正常な生活か営まれているとは思えませんでした。

(浜崎慶隆)