危機一‘発’(5):ラホール(パキスタン)

 商社に勤務していたため、色々な商売をこなしてきました。1980年代はサウジアラビアとの取引がかなりあったのですが、実はお客さんはロンドンを基地としているパキスタンの商売人でした。
 社長は、ロンドン事務所で勤務、現場事務所はサウジのダハランという石油輸出基地のある街で、本社はパキスタンのラホールにありました。取扱品目は控えさせていただきます。
 1975年頃より取引を開始。商売は、順調に伸びていった時期でした。「社長」より本社を紹介したいのでパキスタンに来てくれということで、ロンドンで打ち合わせをしたうえでラホールを訪問しました。
 取引開始時点で分かっていたのですが、社長の自宅には「住所」がありません。彼の名前が住所です。従って、郊外にある自宅の大きさはほぼ「町」のサイズ。縦横各100㍍程?の頑丈なコンクリート塀。玄関付近には、警備所が設置されライフルを担いだ警備員3名が終日警備。邸内は、騒がしい街とは隔絶されていて落ち着いた庭が広がっていました。社長の父親は駐英国大使、パンジャブ州知事を歴任という家柄です。いわば財閥一家です。
 仕事を終えて、夕食に招待されたのですが、家屋の裏辺りにゴルフのショートホールが2面設置されており、軽くゴルフボールを叩いてから、(外部から見えない)半地下のラウンジで一杯。パキスタンでは、公式には禁酒を勧めていませんが、ここには世界の酒が揃っていました。ここで食べたカレーは、忘れがたいほど素晴らしいものでした。味は表現のしようがないので、旨かったとだけコメントします。

 関係者と種々の面談、訪問をこなし、帰国直前にほぼ半日の自由時間を確保できました。トヨタのランクルを運転手付きで貸してもらい、ラホールの好きなところを観光するなり、買い物するなりしてくれということで、お出かけしました。
 但し、観光するなどまったくの予定外で、どこに行ってよいか分からず、運転手にお寺と街はずれに行きたいと希望したら、良く分かった運転手で「ハイ」というだけでどこやらのとても美しいお寺に案内されました。名前は知らないけど、きっと観光客の入れない、とても静かなお寺で、天井全体が奇麗なガラス細工で飾られたお堂に案内されました。きっとここは天国です。
 そして30分程郊外に出ると、シルクロードの外れの古びた砦跡に到着。そこは平山郁夫と喜多郎の世界でした。目を瞑るとラクダの隊商と喜多朗のシンセサイザーだけが聞こえるようでした。数千年の昔から、どれだけの人が旅をしたのか。どれだけの文化が通り過ぎたのかを思っていると、あっという間のとても充実した一時間でした。
 お寺からの帰路、チョットした土産物屋に入りました。民芸品しかない店ですが、玄関用の小さな絨毯を買ったけど、イザ支払いになると、「既にお代は頂戴しています」という。知らぬうちに執事が支払っていたようです。大したもんだ。いま、我家の玄関の足ふきになっています。

 ラホールから空路で1時間飛んだアフガンで、人々がいがみ合っていると思うと堪らない気持ちです。

(浜崎慶隆)