【連載】「日々是発見!」(9)《ウイルスは人類の敵じゃない!?》

【今回、出会った本】
『京大おどろきのウイルス学講義』宮沢孝幸著(PHP新書)2021年4月刊

 コロナ禍がはじまってからというもの、私たちはウイルスというものの存在をこれまでになく身近に感じざるをえない日々を送ってきました。この二年と少しのあいだだけで、「ウイルス」という言葉を目にしなかったり耳にしなかったりした日は、おそらく一日もなかったと思います。
 しかし、これまで私たちは〝ウイルス〟というものを果たしてどこまで知っていたでしょうか?むろん、誰もがウイルスの専門家でもないわけで、常識レベルのことさえ頭に入っていれば、当面は、日常生活をおくる上でべつに不自由はないということは言えます。
 ところが、この『京大おどろきのウイルス学講義』は、私たちのそうしたウイルスに対する〝常識〟そのものを書き換えてしまうのではないか、とさえ思わせるような驚嘆すべき内容にあふれています。
 例えば、こんな質問をしてみましょう。地球上の全人類の総重量と、おなじく地球上の全ウイルスの総重量とでは、いったいどちらが重いでしょうか?
 以下が、この問題に対する答えです。

(ここから引用)
‘物質量(カーボン(炭素)量)で見積もると、人類全体より、地球上のウイルス全体のほうが重いと推測されています。一つひとつのウイルスは非常に小さいものですが、大量のウイルスがいるため、重量換算すると、ウイルスのほうが人間より重くなるんです。’
                     (第3章 そもそも「ウイルス」とは何? 78頁)
(引用ここまで)

 いかがでしょうか?こんなこと、私ははじめて聞きましたし、考えたこともなかったといえばその通りですが、それにしても常識的には思いもよらなかったことでした。
 また、私たちはウイルスといえば、イコール病原体というイメージしか持っていない人がほとんどなのではないでしょうか?ふだん〝ウイルス〟という単語に接するときというのは「HIVウイルス」とか「エボラウイルス」とか、最近ではもう耳にタコができてしまった「新型コロナウイルス」といったように、恐ろしい病気をひきおこす悪玉としてしか出会ってこなかったように思います。
 しかし、この本で著者はまったく違う視点から、ウイルスそれもCOVID-19がそれに分類されるところの「レトロウイルス」というものについて、驚くべき知見を紹介しています。なんと私たちの「ヒトゲノムDNA」にはこの「レトロウイルス由来の配列が9%も入っている」というのです。

(ここから引用)
 ‘先ほど内在性ウイルスやLINE(ゲノム情報の長い反復配列のこと:引用者注)は、逆転写酵素を持っていると述べました。逆転写してDNAを増やしていくことは、「レトロトランスポジション」と呼ばれています。
 レトロトランスポジションは、パソコン用語で言えば、コピー&ペーストです。文字列(DNA)の一部をコピーしてクリップボード(RNA)に転写し、ペーストによって、クリップボードから(RNA)から文字列(DNA)の中に逆転写する。コピー&ペースト(コピペ)ですから、コピペを繰り返すほど、文字列は反復していきます。’
            (第5章 生物の遺伝子を書き換えてしまう「レトロウイルス」144頁)
(引用ここまで)

 いったいなにを言っているのかよく分からないですよね?
 要するに、私たちはもともと自分のDNAをじぶんで書き換えることはできないわけですが、この「レトロウイルス」による遺伝情報のコピー&ペーストの機能をかりることによって、それまでは持っていなかったウイルス由来の遺伝情報をじぶんのDNA配列のなかに書き込めてしまうということらしいのです。
 その結果どのようなことがおこるかといえば、もともとあったじぶんのDNA配列のなかにいろいろな変化のバリエーションが持ち込まれることになり、そのことが生物種としての進化をうながす力にまでなっていくというのですね。つまり「レトロウイルス」は、人間が人間として現在のようなすがたに進化をとげてきたプロセスを仕切ってきた原動力でもあるというのです。

 例えば、ほとんどの哺乳類は胎盤というものをもっていますが、これはもともと備わっていなかった生体機構であり、いまから何千万年も前に原始の哺乳類が感染した「レトロウイルス」の働きによって形成が可能になったものだというのですね。まこと驚くべきお話ですね。
 「進化のためにゲノムコンテンツを増やすことがレトロウイルスの本来の存在意義」(同前148頁)だったのだろう、と著者は述べています。こうしてみると、病気をひきおこすレトロウイルスも、自然のおおきな摂理のもとに存在してきたというこれまでまったく思いもよらなかった視点が、自分のなかで生まれてくるのを感じますね。しかし、そうはいっても新型コロナには感染したくない、はやく流行が終わって欲しい、との思いはやはり現生哺乳類の一人として持ってしまうのは偽らざるところなのですが…。(了)

(添田馨)