「あの時あの頃」を振り返ってみた

後期高齢者となったのを機会に「あの頃あの時」を振り返ってみた

浜崎慶隆(非木材グリーン協会 監事)

先日、台所の食器棚の整理をしていたら、賞味期限が2022年2月2日と表示されているサラダオイルの未開封ボトルを発見しました。かれこれ1年半前に期限が切れている代物です。サラダオイル自体は不思議なものでなく、極普通の食用油で、味の素の「サララ」という名称でした。「サララ」自体は、サラッとした食用油から類推できるものでしたが、小生にとって「サララ」という名称は何とも懐かしい少々昔を感じさせるものです。

「サララ」(Salalah)は、1980年当時、私は、セメント輸出を担当しており、中東アラブのオマーンの重要客先が基地としている港湾都市の名称です。オマーンはアラビア湾とインド洋に面した王国(産油国)で、首都はマスカット。サララは、マスカットから空路一時間程のところにあるオマーン第2の都市です。記録によれば現在(2022年)人口は約20万人。

お客さんは、Mr. Mohanlalという名前のインド系オマーン人で、主たる事業はサララでのスーパーマーケット。市内王宮の一部、約2万㎡を借りて店舗を展開し営業しており、食料品、家具・雑貨、宝飾品、車、建材等々かなりの営業規模でした。王様ともお友達だとか。生まれは、ムンバイとの話ですが、典型的なベジタリアンで、野菜、木の実、植物油、卵はOK、牛肉・魚類や卵はNGでした。

この客先との接触は、一年前、突然私宛にテレックスを送ってきて、オマーンでの建設需要が出始めているので、日本のセメントを是非買い付けたく来週訪日するので1船分用意して欲しい、というものでした。当時、私はサウジアラビア、クウェート、カタールなどにセメントを輸出しており、何かの伝手で私を見つけ出したのでしょう。

翌週、本人が本当に来日。到着の翌日、本人とセメント工場に出張し、工場と品質に関する基礎事項を工場よりレクチャーしてもらい、取り扱い上の注意点を学び、具体的な交渉を開始しましたが、中々のプロで、ネゴはとてもスムースに進み、交渉は決着。船1船分のセメントは約2万㌧、総額約250万㌦で、直ぐに信用状も開設してきたので、2カ月後に船積を実施しました。セメント輸出は、少々特殊なビジネスで、通常の売買の外に『傭船契約』を伴います。その為、通常のリスクに加えて、船の運航上のリスクを履行することが求められます。その当時、中東各国では港湾の荷役能力が不足していたため、遅い荷役に対して‶滞船料″発生のリスクがありました。滞船料は、船のサイズにより、US$10,000~20,000/dayのペナルティーです。

3カ月後、本線が積出国に入港、積荷役に一週間をかけ、Salala 向けに出港しました。船会社も初めての仕向港で、航海上の問題は別としてもどの程度の安全が期待できるのかを心配するような状況でした。日本からSalalahまでは、航海日数で約3週間です。その為、US$250万㌦のセメントを追いかけて出張することにしました。(浜)

(次号をご期待ください)